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最高裁判所第三小法廷 昭和48年(オ)383号 判決

上告人 工藤政治 ほか一名

被上告人 国

訴訟代理人 貞家克己 大内俊身 篠原安彦

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人井上恵文、同大嶋芳樹、同曽田淳夫、同植西剛史、同加藤芳文の上告理由第一及び第二について。

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法は認められない。そして、原審の確定した事実関係のもとにおいては、本件事故に基づく自動車損害賠償保障法三条による損害賠償請求権の短期消滅時効は昭和四〇年七月一五日から進行すると解すべきであり、また、被上告人が右消滅時効を援用することをもつて権利の濫用又は信義則に反するものとはいえない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第三について。

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法は認められない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第四について。

所論は、要するに、被上告人は、公務員に対し公務遂行のための場所、設備等を供給すべき場合には、公務員が公務に服する過程において、生命、健康に危険が生じないように注意し、物的及び人的環境を整備する義務を負つているというべきであり、本件事故は被上告人が右義務を懈怠したことによつて生じたものであるから、被上告人は右義務違背に基づく損害賠償義務を負つているものと解すべきであるとし、これを否定した原判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある、というものである。

思うに、国と国家公務員(以下「公務員」という。)との間における主要な義務として、法は、公務員が職務に専念すべき義務(国家公務員法一〇一条一項前段、自衛隊法六〇条一項等)並びに法令及び上司の命令に従うべき義務(国家公務員法九八条一項、自衛隊法五六条、五七条等)を負い、国がこれに対応して公務員に対し給与支払義務(国家公務員法六二条、防衛庁職員給与法四条以下等)を負うことを定めているが、国の義務は右の給付義務にとどまらず、国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているものと解すべきである。もとより、右の安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によつて異なるべきものであり、自衛隊員の場合にあつては、更に当該勤務が通常の作業時、訓練時、防衛出動時(自衛隊法七六条)、治安出動時(同法七八条以下)又は災害派遣時(同法八三条)のいずれにおけるものであるか等によつても異なりうべきものであるが、国が、不法行為規範のもとにおいて私人に対しその生命、健康等を保護すべき義務を負つているほかは、いかなる場合においても公務員に対し安全配慮義務を負うものではないと解することはできない。けだし、右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものであつて、国と公務員との間においても別異に解すべき論拠はなく、公務員が前記の義務を安んじて誠実に履行するためには、国が、公務員に対し安全配慮義務を負い、これを尽くすことが必要不可欠であり、また、国家公務員法九三条ないし九五条及びこれに基づく国家公務員災害補償法並びに防衛庁職員給与法二七条等の災害補償制度も国が公務員に対し安全配慮義務を負うことを当然の前提とし、この義務が尽くされたとしてもなお発生すべき公務災害に対処するために設けられたものと解されるからである。

そして、会計法三〇条が金銭の給付を目的とする国の権利及び国に対する権利につき五年の消滅時効期間を定めたのは、国の権利義務を早期に決済する必要があるなど主として行政上の便宜を考慮したことに基づくものであるから、同条の五年の消滅時効期間の定めは、右のような行政上の便宜を考慮する必要がある金銭債権であつて他に時効期間につき特別の規定のないものについて適用されるものと解すべきである。そして、国が、公務員に対する安全配慮義務を解怠し違法に公務員の生命、健康等を侵害して損害を受けた公務員に対し損害賠償の義務を負う事態は、その発生が偶発的であつて多発するものとはいえないから、右義務につき前記のような行政上の便宜を考慮する必要はなく、また、国が義務者であつても、被害者に損害を賠償すべき関係は、公平の理念に基づき被害者に生じた損害の公正な填補を目的とする点において、私人相互間における損害賠償の関係とその目的性質を異にするものではないから、国に対する右損害賠償請求権の消滅時効期間は、会計法三〇条所定の五年と解すべきではなく、民法一六七条一項により一〇年と解すべきである。

ところが、原判決は、自衛隊員であつた訴外亡工藤勝喜が特別権力関係に基づいて被上告人のために服務していたものであるとの理由のみをもつて、上告人らの被上告人に対する安全配慮義務違背に基づく損害賠償の請求を排斥しているが、右は法令の解釈適用を誤つたものというべきであり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。そして、本件については前叙のような観点から、更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すべきものとする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 江里口清雄 高辻正己)

上告代理人井上恵文、同大嶋芳樹、同曽田淳夫、同植西剛史、同加藤芳文の上告理由

原判決は、以下に述べるとおり民法七二四条の消滅時効の起算点の解釈、民法一条三項の権利濫用の解釈適用、国家賠償法一条一項ないし民法七一五条一項の解釈適用、および民法四一五条の解釈=適用を誤まつた法令違背があり、いずれも判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄を免れない。

第一原判決は、民法七二四条の消滅時効の起算点についての解釈を誤まつた違法がある。

一 原判決は、上告人らは「昭和四〇年七月一四日には、損害の発生および加害者を知つたものというべきであり、民法七二四条により、三年の経過をもつて本件事故による損害賠償請求権は時効により消滅したもの」であつて上告人らが法の不知により被上告人に対して、「損害賠償を請求できることを知らなかつたとしても、前記日時に損害を知らなかつたことにならない。」との判断をした。

二 しかし、上告人らが法律上請求できる損害のあること、および被上告人が損害賠償義務者であることを知つたときから時効が進行すると解すべきである。

法が不法行為に基づく損害賠償請求権の短期消滅時効の起算点について、被害者の主観的事情にかからしめているのは、被害者が損害および加害者を知つた後「三年もたてば、被害者の感情も平静にもどつてくると考えられるので、その後におよんで再び当事者間の関係を紛糾させるのが妥当でないのみならず、長らく放置して不法行為による損害、苦痛などを忘れている者には、法的保護を与える必要がないという考慮に基いている」(植林弘「注釈民法」一九巻三七六頁、吉野衛「消滅時効の起算点」判例タイムズ二一二号一五四頁)といわれ、「すなわちここでは単に権利不行使という客観的状態が長く継続したことが問題となるのではなく、権利者の如何なる事情の下に権利不行使が継続したかということが重要な意味を持つ。被害者は権利の存在を知つてはじめてその権利を行使すると否とを決意する立場に立ちうるのであるから、不法行為においてこの三年の期間とその起算点たる被害者の認識とは不可分の関係にある」(内池慶四郎「新判例評釈」判例タイムズ二四六号一〇六頁)といわれている。

被害者は損害が法律上請求できるものであること、および損害賠償義務を負つている者を知らなければ、権利を行使できないのであるから、民法七二四条に「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」とあるのは単に事実の認識のみならず、右の法律上の認識、判断を含んでいるというべきである。そうでなければ、法の不知を一方的に被害者に負わせるという酷な結果をもたらし、時効の起算点を被害者の主観的事情にかからしめている法の趣旨が徹底せず、三年の短期消滅時効は被害者の保護に欠けるところとなるからである(内池・前掲書一〇六頁)。

上告人らは昭和四四年七月に、訴外田中義信に出した書面に対する返事により、はじめて被上告人に対して損害賠償の請求ができることを知つたのであるから、消滅時効の期間は同月から起算すべきである。

三 仮にそうでないとしても、被害者のみならず、一般人が当該不法行為について、損害が法律上請求のできるものであること、および損害賠償義務を負担する者を認識、判断しえない場合には、いまだ損害および加害者を知つたことにはならないというべきである。一般人が判断して、損害賠償請求権が自己に帰属することを知らない場合にも、時効が進行するとすれば、前述したように時効の起算点を被害者の主観的事情にかからしめ、短期消滅時効を定めた趣旨に反するからである(下森定「消滅時効の起算点」判例タイムズ二六八号一八九頁、沢井裕「判例批評」民商法雑誌六三巻一五二頁)。

本件については、

1 上告人らが本件事故について、訴外工藤勝喜の上官から事情を聞かされたのは、昭和四〇年七月一四日であるが、同年七月一五日被上告人から遺族補償金として金七六万円、同年七月二六日同じく金四万四、〇〇〇円の支払いを受けたので(甲第二一、第二二号証)、控訴人らとしては右補償金が世間一般の交通事故死の損害補償金と比較しあまりに低額なのに不満を抱きながらも、損害の補償はこれで済んだものと信じたのである。遺族補償金の支払いは国家公務員災害補償法にもとづくので、国の不法行為責任にもとずく損害補償とは性質を異にするものであるが、法律家ではない一般人たる上告人ら遺族が、遺族補償金と損害の補償金とは異なるなどとは思いもよらなかつたのである。ただ遺族補償金の額が世間一般の交通事故の補償額に比較し低額なので、上告人らは追悼式等で自衛隊当局と接触するたびに、補償金の増額等を訴えつづけたのである。

2 上告人らが、遺族補償金を受領した以上、損害の補償は済み、さらに、損害補償請求をすることは出来ず、ただ被上告人の恩恵により遺族補償金が増額されることを期待するほかないと考え、被上告人に対し損害補償請求の訴訟を提起しなかつたのは、上告人らが被上告人から遺族補償金を受ける際遺族補償金である旨の他、何の説明も受けなかつたうえ、自衛隊陸上幕僚監部厚生課長鎌沢致良が自衛隊遺族会陸上部会誌(わかばと)昭和四一年度版(甲第二六号証)に、国は現行の法律に基き、殉職した者に対しては、国家公務員災害補償法(以下補償法という)による補償、公務死による退職手当、共済組合法による遺族年金等を支給するが、それらの法律で定められた以外のことは国として何もできない旨の記事を書き、また、昭和四二年一〇月二七日山形県内陸上自衛隊神町駐屯地で殉職隊員の追悼式に引続いて開かれた懇親会の席上で、上告人らが同席していた自衛官や山形地方連絡部の大泉栄、花山直志事務官らに対し、国の補償は、世間の自動車事故等の補償に比較して、小額すぎるから、補償金を増額するか、年金を支給して欲しい旨懇請したところ、右自衛官、事務官らは、法律を改正する以外に方法はない旨を回答したことにより上告人らは右記事や回答から、被上告人から支給された補償金以外に、被上告人に対しては損害賠償を請求し得ないものと信じたからである。

3 自衛隊員の場合は世間一般の交通事故と異り、国家公務員災害補償法で決められた補償金のほか、国に対して補償請求できないと考えたのは、単に上告人らのみならず、当時自衛隊遺族会会長であつた田中義信をはじめ、自衛隊遺族の和地亨、同金田よし子、陸上自衛隊山形地方連絡部の花山直志、大泉栄両事務官、そして当時陸上自衛隊の厚生課長であつた鎌沢致良さえ同様に考えていたものであり(同人らの原審における各証言)、甲第三一号証(「わかばと」一九六九年版)によれば自衛隊遣族会陸上部会西部分会長である岩崎正一は「たとえば二等陸士が殉職した場合は、車両による死亡事故であつても、公務員であるが故に葬祭料などいつさいを含めても、せいぜい八〇万円~九〇万円程度がその遺族に補償として渡されるにすぎないことになる。このことは、先の一般の死亡の例(交通事故死に対する三〇〇万円の強制保険金や総額一千万円もの人身賠償額の判決をいう)に比較して、いかにも本質的な矛盾が痛感される」として、同氏も自衛隊員が公務員であるが故に、車両事故であつても、災害補償金の支給を受ければ、それ以上国に対して損害賠償の請求ができないものと考えていたのであつて、かかる認識は上告人らのみならず、遺族一般に共通のものであつたことが明らかなのである。

4 従つて、本件事故については上告人らのみならず一般人に対しても、遺族補償金のほかになお法律上請求することのできる損害のあること、および被上告人が運行供用者として自賠法三条により右損害を賠償する義務を負つていること等の高度の法律上の認識、判断を持つことを期待することは困難であるから、結局消滅時効の起算点は前述したように、上告人らが訴外田中義信を通じて被上告人に対し損害賠償を請求することができることを知つた昭和四四年七月から起算すべきである。

第二 原判決は、民法一条三項の解釈適用を誤まつた法令違背がある。

一 原判決は、「当時自衛隊において災害補償事務を取り扱う係官は、自衛隊内の事故については、所定の補償金以外には国に対する損害賠償の請求はできないとの考えであり」、遺族会においても遺族に対し、「国に対する損害賠償の請求を別途になすように指導することは行なわず、専ら国家公務員災害補償法による補償金、退職手当、遺族年金などを引き上げるための運動を行つていた」と認定したうえ、「特に被上告人の方で上告人らを故意に欺罔して損害賠償請求をあきらめさせたというような事情が認められない本件においては、被上告人の時効の抗弁の援用をもつて権利の濫用とまでは言いがた」いと判示した。

二 しかしながら、被上告人の時効の抗弁は権利の濫用といわなければならない。すなわち、

1(一) 権利の行使はその権利が認められた目的、趣旨に沿つたものでなければならないが、被上告人の時効の抗弁はこの権利の本来の趣旨、目的に反する。民法七二四条が一般債権の消滅時効期間一〇年に比較し、特に短期三年の消滅時効を定めたのは、前述したように長期間の経過によつて加害者の責任の有無が不明確になり、損害の算定が困難になること、三年もたてば被害感情も沈静し、その後に問題を紛糾させるのは適当ではないこと、および権利の上に眠る者は法の保護に値しないとの趣旨からである。

(二) ところで本件についてこれを見ると、被上告人は事故の態様、原因、責任の所在等について調査を行い、その結果を文書(公務災害補償書類、甲第九号証乃至甲第二四号証)にまとめて保管しているのであるから、被上告人の責任の有無は明確であるし、損害額の計算も困難ではない。現に被上告人も自己の運行供用者責任のあることを認めている。

次に被害感情等についても、前述のように自衛隊員らの記事や回答(第一、三、2参照)、および上告人らの無知によつて、被上告人に対し損害賠償請求権がないものと信じたのであつて、上告人らは自衛隊当局と接触する機会があるときは常に補償金の増額を希望しており、原判決も推察しているように「権利行使の意思がなかつたわけではな」いのであつて、被上告人に対し損害賠償請求権を有することを知つてからは、被害者としての感情が沈静するどころか、法律を改正して、補償金を増額するしか方法がないと思い込まされていた上告人らは損害賠償請求の方法のあることを教えてくれなかつた被上告人に対し、益々被害感情が強まつたといつて過言ではない。

従つて、本件の時効期間経過の経緯からすれば、被上告人の時効の抗弁は権利本来の目的、趣旨に反するから権利の濫用であり、許されないというべきである。

2(一) 「権利濫用とは、権利の社会的経済的目的、あるいは社会的に許容される限界を逸脱した権利の行使」であつて、「権利行使者の側において、正当な利益が存在しない場合、さらに、相手方が権利行使によつて権利者の利益に比肩しえない著しい損害を被る場合には、権利濫用とされ、権利の行使としての法律効果が与えられない。」とされている(植林弘「注釈民法」一巻八九頁)。

(二) さて、本件における被上告人の時効の抗弁は正当な利益を欠くものである。被上告人は上告人らが補償金額が少額なのに不満を抱き、同人らからその増額を請求されていたのにもかかわらず、損害賠償を請求できることを教示せず、時効期間を徒に過せしめたものであることは前述したとおりである。近年の自動車交通事故の増大により、事故の防止、および被害者の救済が叫ばれて久しいが、加害者が自動車事故により人を死亡させた場合は、被害者に対し積極的に損害賠償の支払いをし、被害者を早急に救済することが強く望まれているところである。

本件の場合、加害者である被上告人は国である、日本国憲法は国民の基本的人権を尊重し(憲法一一条、一三条)、福祉国家を宣言している(憲法二五条)。すなわち被上告人たる国は一私人や私企業などと異なり利益追及を目的とするものではなく、国民に対し後見的立場に立ち、国民の権利を尊重し福祉を充実させることをその使命としているのである。

右の使命を有し義務を負う被上告人たる国が、自動車事故により人を死亡させ、被害者であり真に救済すべき上告人らに対し、しかも上告人らが金銭的に困窮し補償金の増額等を訴えていたにもかかわらず、積極的に損害を賠償しようとはせずにこれを放置しておきながら、上告人らから本件訴訟を提起されるや、にわかに時効の抗弁を主張することは、上告人らの法的無知に乗じて、なすべき義務を怠り、右不履行によつて取得した権利のみ不当に行使するものであつて、国の使命、義務を忘れたものであり、信義誠実の原則に反し、かつ正当の利益を欠くものであつて権利の濫用であると言わなければならない。

(三) 国が右のように、なすべき義務を果さず、被害者の救済を放置すること、およびその結果としての時効期間徒過による時効の抗弁が認められるとすれば、国の道義は一体全体どこにあるのであろうか。このような国が交通事故の被害者救済を云々しても誰もこれを信ずる者はいないであろう。ひいては国民の間に、国でさえ被害者を放置してこれを救済しないでいるのであるから(しかも時効の抗弁が権利の濫用とならないのであれば)ということで、自動車事故の加害者が積極的に賠償の義務を履行することを怠り、法に無知な被害者が益々救済されないこととなる事態にならないとも限らないであろう。このような事態を招来するおそれのある被上告人の時効の抗弁は社会正義および公共の福祉に反し、権利の濫用といわなければならない。

(四) さらに、時効の抗弁によつて得られる被上告人の利益は国家予算における九牛の一毛に過ぎないものであるが、これに、働き盛りの息子を失つて、筆舌に尽しがたい精神的苦痛を受けたうえ、老齢、貧困かつ病弱に悩まされ、明日の生活の資金にさえこと欠く上告人らが本件損害賠償請求権を失うときの損害とを比較すれば、前者の利益に比し後者の損害はあまりにも大きく、時効の抗弁の主張は社会の倫理観念に反する不当な結果を惹起することになるから(本件の場合、被上告人が時効の抗弁を主張しなかつたからといつて、被上告人を非難する国民は僅少であろう)、右抗弁は権利の濫用といわなければならない。

第三原判決は、国家賠償法一条一項、ないし民法七一五条一項の解釈適用を誤つた違法がある。

一 原判決は、自衛隊陸上幕僚監部厚生課長鎌沢致良、山形地方連絡部の大泉栄、花山直志両事務官らが、被上告人に損害賠償責任のあることを上告人らに告知すべき義務の存在を認めることは困難であり、「当時関係自衛官、事務官らが、本件事故について補償法に基く補償以外に損害暗償責任が被上告人にあることを明確に認識していたことを認めるに足る証拠はなく、また、法律専門家でない関係自衛官、事務官らにこれを期待することも無理と解されるから、右記事、回答に関する事実はまだ右故意、過失の存在を認めさせるに足ら」ないと判示した。

二1 しかし、告知義務の点については、鎌沢厚生課長は当時殉職隊員の遺族に対する生活指導、相談など遺族援護に関する仕事をしていたのであり(同人の原審における証言)、その一環として自衛隊遺族会陸上部会誌「わかばと」昭和四一年版(甲第二六号証)に「当面する遺族に関する問題点」と題する前記趣旨の記事を書いたのであるから(第一、三、2参照)、同人としては、職務上右記事を書くにあたつて、遺族が右記事を読んで自衛官は車両による死亡事故であつても、一般の自動車事故の場合と異り、国から災害補償金の外は支給を受けられないとの誤信をしないように、国が不法行為により損害賠償義務を負担する場合のあることを記載すべき注意義務があつたことは明白であるといわなければならない。

大泉、花山両事務官についても、遺族の身上相談等遺族援護の仕事をしていたのであり(同人らの原審における証言)、同事務官らは自衛隊地方連絡部の組織等に関する訓令(昭和三十一年七月三十一日防衛庁訓令第五十号)一条四号「離職した自衛官等に対する援護に関する」事務の一環として、遺族援護の仕事をしていたのであるから、国の不法行為責任の有無の判断が因難な事案の場合はともかく、本件の如く自動車事故の事案では自動車損害賠償補償法により、国の運行供用者責任、従つて損害賠償支払義務は極めて明白であり、本件事故の内容を熟知している同事務官らは、前記職責上、補償金の増額等を訴える上告人らに対して被上告人の損害賠償支払義務についての告知義務が存したというべきである。

2 次に、原判決判示のように、当時、関係自衛官、事務官らが、補償法に基づく補償以外に損害賠償責任が被上告人にあることを明確に認識していなかつたとすれば、前記職責を有する自衛官、事務官らがその職責上当然認識すべきことを認識しないで前記陸上部会誌の記事を書き、前記懇親会の席上での回答をして、上告人らをして本件事故について被上告人が損害賠償責任を負わないものと誤信せしめた過失がある。甲第三一号証「殉職者に対する遺族補償金の増額について」と題する記事は甲第二八号証「わかばと」(一九六九年号)の記事に付記されたものであつて、岩崎正一氏が防衛庁厚生課に提出したものであるが、申第二八号証の記事を読みあわせれば、上告人らのみならず同氏もまた甲第二六号証の記事を読んで、自衛官は車両による死亡事故であつても、一般の交通事故の場合と異なり、国から災害補償金等の外は支給を受けられないとの認識を得たものと考えられる。

3 なお、原判決は「懇親会における関係自衛官らと上告人らとの間の話題は補償法に基く補償につきていたのである」と判示したが、これは証拠の解釈を誤つて事実誤認した採証法則違背がある。すなわち、被上告人も認めるとおり、上告人らは国の補償が世間の自動車事故等の補償に比較して少額すぎるから、補償金を増額するか年金を支給して欲しい旨懇請したのであるが、上告人らとしては損害賠償請求権と区別して補償金の話に限定してこれを持出したものではなく、不法行為に基づく損害賠償金と補償法に基づく補償金とは異なるなどとは思いもよらなかつたのである。従つて補償金が世間の交通事故等の補償額に比較して少額すぎる云々の話が出たのである。また自衛官らの方も話題が補償法に基づく補償の増額につきていたから「別途に損害賠償請求の可能性に想到、言及しなかつた」わけではなく、前述のように世間の交通事故等の補償の話も出ていたのであるが、自衛官らも本件事故について被上告人が損害賠償義務を負うことを知らなかつたから、損害賠償請求の可能性について想到、言及しなかつたに過ぎないのである(花出、大泉両事務官の原審における証言を参照すれば明白である)。

三 以上の自衛官らの不法行為の結果、上告人らは昭和四四年七月になつて訴外田中義信から、遺族補償金の受領にかかわらず、被上告人に対して損害賠償の請求をなしうることを教示されるまで、同請求権があることに思い至らず、これを行使しなかつたため、同請求権は時効により昭和四三年七月一四日に消滅してしまつたのであるから、被上告人は国家賠償法一条一項または民法七一五条一項に基づき上告人らに対してこれにより損害賠償支払義務があるところ、原判決は前述のように右法条の解釈を誤まり、これを適用しなかつた違法があると言わざるを得ない。

第四原判決は、公務員の勤務関係の法的性質についての判断を誤まり、本件事故について民法四一五条を適用しなかつた法令違背がある。

一 原判決は、訴外工藤勝喜と被上告人との勤務関係が通常の雇傭関係ではなく、同訴外人は特別権力関係に基いて被上告人のため服務していたのであるから、被上告人は本件事故について、債務不履行に基づく損害賠償義務を負担しないものと判示した。

二 しかし、自衛隊員を含む国家公務員の勤務関係の法的性質は、次に述べるように、特別権力関係ではなく、雇傭関係ないし雇用関係類似の関係というべきである。

1 特別権力関係とは、一般権力関係に対し、公法上の原因に基づき、公法上の特定の目的に必要な限度において、包括的に一方が他方を支配し、他方がこれに服従すべきことを内容とする関係をいい、この特別権力関係においては、法治主義の原理の適用が排除され、具体的な法律の根拠に基づかないで、包括的な支配権の発動として、命令強制がなされ得ると解されている(田中二郎「行政法総論」二二四頁)。

2 しかしながら、現行憲法上、自衛隊員を含む国家公務員(以下、公務員という)の勤務関係を右のような特別権力関係と解することはできない。すなわち、現行憲法の立脚する近代的な公権力の法秩序は、すべての公権力の発動を法律によつて根拠づけ、支配することを基礎とし、法から自由な公権力の発動を否認するものであり(法治主義)、憲法七三条四号は「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること」と規定し、これに基いて公務員の勤務関係に関し、一般職については国家公務員法、特別職である自衛隊員については自衛隊法等が制定されていることから、憲法は公務員関係についても法治主義の原理を適用し、公務員に対する命令強制についても、法律の根拠を要求しているものというべきだからである。また、具体的な法律の根拠なしに、国民の権利自由を制限する公権力の発動を認めるような一般的包括的授権を、法律ないし個人の同意によつてなすことは、法治主義の原則に反し、憲法上許されないと考えられる。

3 さらに、公務員も労務を提供し、使用者たる国がその対価として俸給を支給し、公務員になるかならないかは本人の自由であり、両当事者の一致なしには公務員関係は成立しえない点において、通常の雇傭関係と共通し、特別権力関係の発動形態とされる職務命令権と懲戒権についても、一般私企業の雇傭関係に見られる業務命令、懲戒権とその性質上異るところはなく、何ら公務員関係を雇傭関係と本質的に区別するものではない。ただ、公務員が全体の奉仕者であり、使用者が国であることから、公務員の勤務関係を適正ならしめるため、その内容を法律によつて規定しているのである(室井力「特別権力関係論」三七二頁以下、三七九頁以下、岸井貞男「公務員の勤務関係の法的性質」季刊労働法第八五号六六頁以下)。

4 従つて、公務員の勤務関係は雇傭関係ないし雇傭関係類似の関係というべきであつて、特別権力関係の法理は否認されなければならない。

雇傭関係における使用者は、労務給付のための場所、設備等を供給すべき場合には、労務者が労務に服する過程において、生命や健康に危険が生じないように注意し、物的および人的環境を整備する義務を負つているから、(我妻栄「民法講義各論」中巻二五八六頁、幾代通「注釈民法」(16)四五頁、岡村親宜「労災における企業責任論」季刊労働法八二号五四頁以下)同様の関係は同様に取り扱われるべく、訴外工藤勝喜の使用者である被上告人は、同訴外人に対する安全保護義務の懈怠により生じさせた本件事故について、債務不履行に基づく損害賠償義務を負担しているというべきである。原判決はこの点についての判断を誤まり、本件事故について民法四一五条を適用しなかつた違法があり、破棄を免れないものと考える。

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